大学途中から英語を真面目に勉強し始め、だいぶ時間が経ちましたが、レベル的にはまだまだ。流暢ではないですし、言葉に詰まることも多々あります。
ただそれでも、社会人になって海外営業としてずーっとやってきた経験だけはあるので、どこの国の人ともビジネスで仕事はできるとは思っています。
英語を武器として伸ばし、仕事を通じて、日本人以外の人たちの話しや考えに触れる機会を持てたことは、非常に有意義でした。
人生や仕事の考え方は、世界で千差万別。日本人が大学まで学んできた、いわゆる「右向け右」の考え方、学校や会社の組織の中で同じベクトルで進ませるやり方とは、違うものがあると気づかせてくれました。
その気づきも、もし英語が話せていなかったら、実際に触れることも中々できなかったんだろうなと思います。
そんな英語との付き合いについて、学生時代の頃を振り返ってみたいと思います。
大学3年までは、英語なんて全くわからず。
通っていた大学は、帰国子女が多いクリスチャン系の大学。ネイティブ教師による英語の授業もあり、英語力が全くなかった自分は、もう恐怖でしかありませんでした。何を言っているのか一言も分らず、4人1組で行うグループディスカッションで、運悪く帰国子女の人と一緒になった際には、もう沈黙を貫くことしかできませんでした。
大学3年の途中までは、そんなレベルのままで、特に英語ができていなくても気にもせず…。
ゼミ合宿で中国に行った時に、転機が訪れる。
ゼミでは、東アジアの開発経済学がテーマであり、主に東南アジア+中国の戦後以降の経済発展について学んでいました。
3年生の夏に、他大学と討論会を行うゼミ合宿がありました。相手先は、何と中国の清華大学。その当時、中国人エリート集団のスペックの高さ等知る由もなく、討論資料の準備に忙殺されていました。
討論会では、もちろん向こうの学生は全員英語はベラベラ。この時、少なくとも英語で自分の意見ぐらいは言えるようにならないと、全く話しならないことを身に染みて覚えました。(結局、彼らとは座談会でスラムダンクの話しを少ししたぐらいで終了…。)
その悔しい経験を得て、英語は話せないといけないと気づき、英語の勉強を決意。当時のTOEICレベルは、400点ぐらいだったと思います。リスニングは全く聞き取れないレベル。
自分の場合は、大学を休学し語学留学。帰国後に受けたTOEICは750点程だったと記憶。行く前よりは伸びたものの、英語力としては依然大したものではないレベルでした。
とはいえ、400点 ⇒ 750点にジャンプアップしただけでも、自分の中では多少なりとも自信はつき、その後の社会人生活で、英語を勉強していく土台となったことは確かでした。
次は、社会人後の英語とのつきあいを見てみたいと思います。
ではでは良い一日を
Have a nice day!